ブログ名いいのないですかね

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久しぶり

突然だけどこの2ヶ月くらい仕事以外で人とほぼほぼ話していない。仕事もコロナも一時期よりかなり収まっているけれど、それで人と話す頻度が上がるわけではなかった。そんな感じで溜まった何かを言いたい欲をここでズドドと発散する。

そもそも大学生の頃は関わりと時間と情報が腐る程あって、そのおかげで毎日自堕落ではあるがそこそこ楽しく過ごせたし体型も維持できたし人と遊べた。だけど社会人になったらそうはいかなかった。頭はガンガン使うけど運動ができない(僕は運動する前に半日くらいウダウダしてやっと決心した頃には1日の終わりでそれだけで1日が潰れるけど社会人はそうもいかない)からどんどん太っていくし、「金払ってそこら辺で出来るランニングとか筋トレとかをしている人間が愚かで仕方ない」と考えてたジムにも通い始めた。大学生の僕であれば月8000強?もあれば0円で筋トレランニングを継続して浮いた分は1ヶ月の食費にできただろう。年が近くて似たルートを通ってきた人が沢山集まってる組織で楽しく話して過ごしてたのに今や周りにはオッサンしかいなくてしょーもない空虚な話を死んだ目で業務中にボソボソ話している。夏の深夜に何も気にせずフラッとコンビニに行くこともなくなったし、平日昼間の公園でボーッとすることもない。まあショボい田舎なので公園なんか至る所にあるけど、それも既に見飽きて東京の圧倒的な密度の情報が恋しくなった。某動画サイトの特定ジャンルの毎時ランキングに張り付かなくなったのは良い事だと思ってる。

 

そんな生活をしてて思うんだけど、社会に適合しているオッサン達って凄いなって。畏怖と言えるかも。めちゃめちゃ失礼かもしれないんだけれども、会社にいる30〜60のオッサンの殆どに持った印象は、「この人達から会社を取り上げたら何が残るんだろう」っていうやつだ。特に趣味もなく興味もなくただひたすら仕事をして帰って仕事をして帰ってを繰り返している。人生における全てを仕事に捧げているような感じ。でもここで浮かんだのが、僕の社会人になってから時間的にそれまでの生活ができなくなった上記の事である。あのオッサン達も若い頃は本当は趣味があって何かに興味があってもっと色々やりたかったんじゃないかなと思えた。でも時間も無くなっていくし家庭もできて責任も出てきて泣く泣くそのしたかった事を全て手放して出来上がった哀しきお仕事マシーンには恐れ慄き尊敬する。そして、自分に起こったこの生活の変化はその兆候なのではないかと考え始めたら怖くなっちゃった。自分は哀しきお仕事マシーンへの哀しき一歩を踏み出したのである。

 

とりあえず何かを言いたい欲は収まったので今日はここで終わる。おやすみ。